観覧車の歌 #8

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観覧車の短歌

観覧車は二粒ずつの豆の莢春たかき陽に触れては透けり
杉﨑恒夫『パン屋のパンセ』

杉﨑恒夫の第二歌集『パン屋のパンセ』(2010年)に収められた一首です。

観覧車のゴンドラを何か別のものに喩えるとしたら、何に喩えますか。

この歌では、観覧車のゴンドラひとつひとつを「豆の莢」に喩えています。ゴンドラを「豆の莢」に喩えようとは中々思わないのではないでしょうか。その発想が独特で、遊具としての観覧車ではなく、そこから別の世界へ連れてくれる、そんな歌に感じます。

さて、「豆の莢」は具体的に「二粒ずつ」という豆の数が提示されています。ゴンドラという豆の莢には、ひとつではなく二つの豆が収められているのです。それは向かい合う二人の人物が乗っている様を想像させてくれるのではないでしょうか。この二人は親子でしょうか。それともカップルでしょうか。あるいは友人同士でしょうか。色々と想像できると思います。

二人が乗っているゴンドラはただの金属の塊ではありません。ゴンドラが「二粒ずつの豆の莢」に転換されることで、途端にメルヘンのような世界が立ち現れるように感じます。どのゴンドラも「二粒ずつの豆の莢」であり、どのゴンドラにも二人の人物が乗っている様子を想像できるのではないでしょうか。実際の観覧車は二人に限らず、三人でも四人で乗ることもできるでしょうが、この歌においては「二粒ずつの豆の莢」であり、それぞれのゴンドラには二人ずつの人物が乗っている情景を想像するのがいいと思います。

豆の莢に包まれた人物がとてもやわらかな空間に包まれている様子を思い浮かべることができるでしょう。

「春たかき陽」から春のあたたかな様子が浮かびあがってきて、豆の莢であるゴンドラは、その春の陽に照らされているのでしょう。「触れて」という表現が丁寧であり、「透けり」からは、ゴンドラが透明感をもっていく様子が見てとれます。豆の莢のやわらかな感じと相まって、春の陽のあたたかでやわらかな感じがとても心地よく感じられるのではないでしょうか。

観覧車一台には多数のゴンドラがありますが、いずれにも「二粒」をもった「豆の莢」が回り続けているのです。

機械的な観覧車ではなく、やわらかで楽しい観覧車を想像でき、印象に残る一首です。

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