観覧車の歌 #5

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観覧車の短歌

観覧車のどかにまわる空のした係員がいて券を受け取る
松村正直『やさしい鮫』

松村正直の第二歌集やさしい鮫(2006年)に収められた一首です。

遊園地の観覧車を詠った歌です。

上句の「観覧車のどかにまわる空のした」ですが、観覧車から若干離れている場所から見ているように感じます。「のどか」という表現からそう思うわけですが、観覧車の真下、今まさにゴンドラに乗ろうとしている場所では、ゴンドラはそれなりの速度で動いているので、「のどかにまわる」というのは真下では感じにくいのではないかと思います。

となると、上句は少し離れた場所から観覧車を見ていた状況になるかもしれません。

ここで考えてみたい点が三つあります。

  • 客が係員から券を受けとったのか、それとも係員が客から券を受けとったのか
  • 係員は観覧車付近の係員か、それとも園の入口にある入場券売場の係員か
  • 券のやりとりをした客は、主体なのか、それとも主体ではない別の誰かなのか

この三つについては、互いに関わり合っていると思います。

例えば、係員が客から券を受けとった場合を考えてみましょう。その場合は、観覧車に乗るための券が必要であって、その券を係員が受けとり、客が観覧車に乗った場面と想定できると思います。

一方、客が係員から券を受けとった場合を考えてみましょう。その場合は、観覧車に乗るための券を購入して、売場の係員から券を受けとったとも採れますし、乗車券を一旦係員に渡して、その半券を客が係員から受けとった状況とも採れるかもしれません。

次に「係員」はどの担当の係員かということです。この「係員」は、通常考えると、観覧車の乗車券売場の係員だと思いますが、冒頭で述べたように観覧車の真下という感じはしないので、観覧車乗車券売場が、観覧車の全体像を眺められる程度の距離をもった位置にあるのかもしれません。あるいは、例えばフリーパスで乗り放題システムの遊園地で、入口で券を受けとった場面とも採れる可能性があるので、入口の入場券売場の係員と考えることもできるでしょう。

または、上句と下句は直結しているように見えて、実は若干の時間差があるのかもしれません。観覧車を「のどかにまわる」と感じて眺めたのは観覧車から少し離れた位置においてであり、実際券を受けとったのは、観覧車に近づいた場所においてのことかもしれません。

さらに、係員と券のやりとりをしていたのは、主体なのか、それとも別の誰かなのか、そのあたりもどちらも可能性があるように思います。自分がやりとりしていた状況を詠ったともいえますし、誰かが係員と券のやりとりするのを眺めていた状況も考えられるでしょう。

このように、考え出すと色々なケースが想像できますが、この歌で述べられている状況だけでは、絶対にこの状況であったと断定することは難しいでしょう。

今回は、主体が係員から観覧車乗車券を受けとったと読んでおきたいと思います。受けとり場所は、観覧車の回る姿が眺められる位置だったのではないでしょうか。

色々なケースが想定されるにしろ、「係員がいて」という部分から、遊園地に係員がいるということを改めて意識させてくれる歌ではないでしょうか。

いわれてみると、無人の観覧車というのはなく、誰かしら係の人が観覧車の地上部分にいるものです。もちろん、係員がいるというのは、何も観覧車に限った話ではなく、遊園地の遊具全般にいえるものですが。

しかし、この歌では「観覧車のどかにまわる空のした」と提示されることで、読み手は、観覧車と係員が映像に重なって登場してくるように感じるのではないでしょうか。

観覧車に乗ってどうしたというところを詠んだ歌ではなく、遊園地における券のやりとりという、あまり注目しないような点に注目した歌ですが、その着眼が特徴的な一首だと思います。

上句からは観覧車の大きくてゆったりとしたイメージが浮かび、一方下句は非常に狭い範囲における動作がクロースアップされ、その対比もくっきりとした一首で、さまざまに考えさせられる歌ではないでしょうか。

観覧車
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