観覧車の歌 #2

当ページのリンクには広告が含まれています。
観覧車の短歌

頂上で乗って頂上で降りるならいいよふたりきりの観覧車
鈴木晴香『心がめあて』

鈴木晴香の第二歌集心がめあて(2021年)に収められた一首です。

通常、観覧車は一番低い位置に乗り場が設けられており、そこから乗って、またその一番低い位置で降りるでしょう。世界中の観覧車の中には特殊な例があるのかもしれませんが、ほぼすべて乗り場は一番低いところにあるのではないでしょうか。

観覧車といえば、その仕組みが当たり前だと思って何の疑問も抱かずにいたのですが、掲出歌を読んだとき、一番低い位置から乗るということを当たり前のものとして決めつける必要もないのではないかと思いました。

固定観念のように下から乗って下に降りてくると思い込んでいますが、「頂上で乗って頂上で降りる」ことができる観覧車があってもいいのではないか、この歌はそう感じさせてくれるのではないでしょうか。

もちろん”一番低い位置から乗って一番低い位置で降りる”のには理由があるでしょう。

ひとつは安全面で、地上に接しているところが乗り降りするには一番安全に行えるということはあるでしょう。他の点では、観覧車のクライマックスはやはりゴンドラが頂上に到達した時点でしょうから、スタート地点がいきなり頂上であれば、その後観覧車に乗る楽しみが減ってしまうという点があるのではないでしょうか。楽しみは後にとっておく方が盛り上がるように、徐々に高度が上がっていってその後頂上に到達するという流れが観覧車の醍醐味でもあるので、盛り上がりの点からも一番低い位置から乗るというのはうなずけます。

このように下から乗って上がっていく一般的な構造の観覧車においては、「頂上で乗って頂上で降りる」ことは実際は不可能でしょう。

しかし主体はその不可能なことを相手に対して提示しているのです。

なぜ「頂上で乗って頂上で降りるならいいよ」といっているのでしょうか。

例えば、「ふたり」の幸福度を考えた場合、地上地点があまり幸せでない地点、頂上地点が最高に幸せな地点に相当すると考えるとします。観覧車の一サイクルを二人の関係の継続した時間と捉えるとして、もし地上から乗って地上に降りてくるのであれば、途中に幸せな瞬間があったとしても最後はまたあまり幸せでない状態、あるいは関係がスタートしたときと同じような関係に戻ってしまうことを示しているように思われます。

一方、頂上から乗って頂上で降りてくるのであれば、途中はあまり幸せでないときもあるかもしれませんが、最初と最後は最高に幸せな状態が保たれることを表しているように思います。陳腐ないい方になりますが、”ハッピーエンド”、”終わりよければすべてよし”といった感じに通じるイメージでしょうか。「ふたりきりの観覧車」がより一層二人の関係性の密度に焦点を当てているように思います。

もしかすると、掲出歌は観覧車のサイクルをこのような人生のスパンに重ねてはいないのかもしれませんが、今回は上のように読みたいと思います。

観覧車は乗った地点と降りる地点が同じであること、左右ではなく高低が何らかの意味をもつことなど、観覧車そのものについても色々と考えさせられる一首ではないかと思います。

観覧車
観覧車

♪ みなさまの応援が励みになります ♪


俳句・短歌ランキング

ブログランキング・にほんブログ村へ

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次