観覧車の歌 #1

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観覧車の短歌

観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日ひとひ我には一生ひとよ
栗木京子『水惑星』

栗木京子の第一歌集水惑星(1984年)に収められた一首です。

観覧車と恋といえば、この一首といってもいいほどの代表歌です。

まず主体の位置を確認しておきたいと思いますが、「我」はどこにいるのでしょうか。ここではいくつかのパターンが考えられるでしょう。

  • 「我」と「君」は同じ位置にいて、地上から観覧車を眺めている
  • 「我」と「君」は一緒に観覧車のゴンドラに乗っている
  • 「我」が観覧車のゴンドラに乗っていて、「君」は地上にいる
  • 「君」が観覧車のゴンドラに乗っていて、「我」が地上にいる

もちろんこれだけではないかもしれませんが、このように「我」と「君」の位置は幾通りかの可能性があると思います。どの位置にいるかを想像するのは読み手の自由ですが、この歌ではやはり「我」と「君」が一緒に観覧車のゴンドラに乗っていると採るのが最も臨場感があり、熱量が伝わってくる捉え方ではないでしょうか。

観覧車に「我」と「君」が乗っています。隣り合わせで座っているのでしょうか。この歌からは「我」と「君」との関係はそれほど親密なものではないように感じますので、向かい合わせで座っていたのかもしれません。

いずれにしても、ゴンドラの閉鎖空間の中にいるということが歌の背景として重要な効果を上げているように思います。

一緒に観覧車に乗った今日という一日は、「君」にとってはただの一日の出来事なのかもしれません。しかし「我」にとっては、今後ずっと忘れることのないであろう特別な一日となっているのです。

それが「想ひ出は君には一日ひとひ我には一生ひとよ」という対句で巧みに表現されています。

「観覧車回れよ回れ」というのは、「君」にとっての「一日」と、「我」にとっての「一生」のこの差を埋めようもない現状に対する、主体の心の声のように感じます。

今日という一日に対する「君」の思いと「我」の思いは異なることは、「我」は充分承知していて、それは観覧車がもっともっと回ったとしても、どうしても変わらない、それも「我」は充分理解しているのです。それでも「観覧車回れよ回れ」と詠わずにはいられない、そこにこの歌の切なさがあり、同時にこの歌の最大の魅力が詰まっているように感じます。

一度読んだら忘れることのできない、とても印象に残る一首です。

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