補色の歌 #13

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補色の短歌

竹やぶなれば成人誌などは棄ててあり目に沁みて裸体の下着くれなゐ
川本浩美『起伏と遠景』

川本浩美の第一歌集起伏と遠景(2013年)に収められた一首です。

「竹やぶ」の緑に対して、「下着くれなゐ」の赤が対照的に映ります。

情報化社会の今、遊びを含めた、外における体験の数は以前と比べて減ったのかもしれません。まして竹やぶに入る機会というのはあまりないのかもしれません。

またスマホや電子書籍という媒体が普及してきてから、外に本が捨ててある現場を目にすることもあまりなくなったように思います。竹やぶならずとも、成人誌が公園や高架下などに捨ててあるのを以前は目にしたこともありますが、近頃はあまりなくなったように思います。

あるいは一時的に捨ててあったとしても、清掃が行き届いていて、捨ててある場面を目にすることがなくなったのかもしれません。

さて、掲出歌においては、主体は何らかの理由で「竹やぶ」にいるのでしょう。そこで目にしたのは「成人誌」が「棄てて」ある場面です。目にしたのは表紙でしょうか、それともどこかの開かれたページでしょうか。とにかく主体の目に飛び込んできたのは「裸体の下着」であり、その下着の色は「くれなゐ」だったのです。

「竹やぶ」なればこそ、この「くれなゐ」が鮮やかに際立ってくるのではないでしょうか。

仮にこれが、真っ赤な土が広がる場所に捨ててあれば、それはそれでまた違った印象を残すでしょうが、「竹やぶ」と「下着くれなゐ」の組み合わせほどには、視覚的インパクトは弱いように思います。「竹やぶ」という場所だからこそ、「裸体の下着」の「くれなゐ」がその存在感を放っているのだと感じます。

「目に沁みて」という言葉の四句への挿入、また”くれなゐの下着”ではなく「下着くれなゐ」という表現がより歌を鮮やかにしているのではないでしょうか。初句の「竹やぶ」に対して、結句の最後に「くれなゐ」が置かれているのも意識的だと思います。

この歌の場合、”くれない”ではなく、歴史的仮名遣いで「くれなゐ」となっているのも効果的で、竹やぶに成人誌が捨ててある状況のあやしい感じをよく表現しているのではないでしょうか。

「くれなゐ」の色が、読後もイメージの中に残り続ける一首だと感じます。

竹やぶ
竹やぶ

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