昼休み終わらんとして缶の底ねばつくようなコーヒーを飲む
吉川宏志『石蓮花』
吉川宏志の第八歌集『石蓮花』(2019年)に収められた一首です。
一日の中で、缶コーヒーが最もよく飲まれる時間帯はいつでしょうか。
朝専用缶コーヒーというものもあり、朝出勤前に飲む人も多いでしょう。また仕事が終わって帰りの電車に乗る前に飲むという人もいるでしょう。
ただ缶コーヒーが飲まれる場面として、休憩時間や昼休みのイメージが一番に浮かびます。昼休みであれば、弁当とともに買って飲む人もいるかと思います。
さて掲出歌は、昼休みの終わりに缶コーヒーを飲んでいる場面です。
缶コーヒーに限らないかもしれませんが、缶入りの飲み物というのは中の液体がよく混ざっていないと、缶の底にやや固体に近いドロッとした部分が残っていることがあります。また濃度も缶の底の液体の方が高いように思います。
このあたりの状況を「缶の底ねばつくような」という表現がとても的確に表しています。
この歌は「崖」という一連に収められていますが、この一連では人の死を回想している様子がうかがわれます。
「ねばつくような」という表現は、液体の状態をもちろん表してはいますが、それよりもむしろ回想していることに対する心の状況をこそ表現しているのでしょう。その回想はあまり気持ちのいいものではないと思いますが、そのことが「缶の底ねばつくようなコーヒー」という具体物によってよく表れていると感じます。
勤務における昼休みというのは、思考も肉体も時間も完全には勤務から自由にはなれないものだとは思いますが、そのような昼休みの一面を感じさせてくれる一首だと思います。