缶コーヒー飲み干すときはどのひとも空をあおいでいるオフィス街
toron*『イマジナシオン』
toron*の第一歌集『イマジナシオン』(2022年)に収められた一首です。
歌意に特に難しいところはなく、歌を読めば場面はすぐにイメージできると思います。しかし表面的なものではなく、この歌の奥にある意識というのは一体どういったものなのでしょうか。
時間帯は朝か昼か、あるいは夕方かいずれもあるでしょう。
「どのひとも」で示されている人々は、オフィス街で仕事に関わっている人たちが想定されていると思います。これから仕事に向かう人もいれば、外回りや昼休憩で外に出ている人などさまざまでしょうが、「缶コーヒー」を飲んでいる人たちに注目しているのです。
缶コーヒーの飲み始めは顔を上げなくても飲めますが、缶の底にあるコーヒーを「飲み干すとき」はどうしても上を向いてしまいます。そのときに空を仰ぐかたちになり、その視界には高層ビルが立ち並ぶ光景が現れるのです。
実際には、缶コーヒーを飲み干すときにどこを見ているかは人それぞれでしょう。空を見ている人もいれば、ビルを見ている人もいますし、飛んでいる鳥を見ている場合もあれば、目をつぶっている人もいるでしょう。上を向いていても意識が視界になく、目は開いているけれども、意識的に何かを見ているというわけではない場合もあるでしょう。
このように人それぞれ見ているものは違うでしょうが、缶コーヒーを飲む人たちを外側から眺めたときの姿としては、「どのひとも空をあおいでいる」のです。そこに共通項を見出しているのです。
この共通項が示されることで、オフィス街、そこで働く人々、集団、会社といったものに対する若干の違和感のようなものがあぶり出されてくるように感じます。
人は本来ひとりひとり異なる特徴をもっているのにもかかわらず、場所、組織、肩書きなどによって、いつの間にかカテゴライズされてしまう傾向が往々にして起こり得ますが、それは日々の些細な行為の中にも現れ得ることをこの歌は気づかせてくれているように思います。
缶コーヒーを飲み干すという行為ひとつにおいても、空を仰ぐという共通項が現れ、同じような姿になってしまうことに、ある意味人間のさびしさのようなものを感じずにはいられません。
掲出歌は気づきの歌としてもとれますが、もう少し踏み込んで現実に対する違和感や人そのものの存在を意識した歌として読んでみたい一首です。