麦チョコの大きめの麦ばかり取るきみを気に入る現世だったと
榊原紘『悪友』
榊原紘の第一歌集『悪友』(2020年)に収められた一首です。
麦チョコは、小麦や大麦のポン菓子をチョコレートでコーティングしたもので、さくさく食べることができる人気のお菓子です。
麦チョコは、そのサイズは不ぞろいであり、かえってそれが麦チョコの味わいを出しているともいえるでしょう。
掲出歌はその麦チョコが登場しますが、大きめの麦チョコばかりを取って食べる「きみ」が描かれています。上句の「麦チョコの大きめの麦ばかり取る」という言い回しが印象的です。通常「大きめの麦チョコばかり取る」といえば素直ですが、「麦チョコ」と一旦提示しておいて、次に「大きめの麦」という表現が続くところに、若干の引っ掛かりを覚え、それがこの歌のアクセントになっていると思います。
「きみ」を特徴づける一場面として「麦チョコ」の選び方をもってきていますが、非常に些細な場面といえば些細なことだといえるでしょう。しかし、このような些細な場面こそが「きみ」を表現するのに適しているのかもしれません。
例えば、性格がいい、ルックスがいい、運動神経がいいといった表現で「きみ」を表したとしても、そのようなありふれた捉え方では、歌として目に留まる要素は少なくなるでしょう。「麦チョコ」というディテール、そして「大きめ」を選ぶという癖や習慣が、主体にとっての「きみ」を表現するのに現実感をもって伝わってきます。
結句の「現世」をもち出すことで、現世にいながら、来世から見ているような視点を与えてくれます。そのことにより、さらに現世の「きみ」が輝きを放っているように感じるのです。
もしも麦チョコの大きさがすべて均一であったなら、この歌が生まれることはなかったのかもしれません。