ガーナチョコひと区画ずつ折りながら桜の下に月の出を待つ
笹本碧『ここはたしかに 完全版』
笹本碧の遺歌集『ここはたしかに 完全版』(2020年)に収められた一首です。
「ガーナチョコ」とは、ロッテのガーナミルクチョコレートを指しているでしょうか。
ガーナミルクチョコレートは板チョコレートであり、小さく割って食べることができるように、四角く区切られています。
掲出歌では、この区切られた一個の場所を「ひと区画」と表現していますが、この表現が端的であり、また的確であり、小さな一個に割っていくさまがくっきりとイメージできると思います。
「折りながら」という表現も、意味としては割っていくことを指していますが、”割りながら”と表現するのとはやや雰囲気が異なるでしょう。「折りながら」は、”割りながら”よりは幾分やわらかな印象を与えてくれるのではないでしょうか。
さて、ガーナチョコを小さいピースにしながら、「桜の下に月の出を待つ」と続いていきます。
季節は春、時間帯は夕方から夜にかけて、そして、すでに桜は開花している時期でしょう。桜の木の下にいる主体は、月が出てくるのを待っているのです。この待っている時間は、何ともゆったりとした時間のように感じられます。周りには人があまりおらず、騒がしい印象がありません。
何かに追われる時間でもなく、急いで何かをすべき時間でもなく、ただ単に「月の出を待つ」時間として、その時間は存在するのでしょう。「月の出を待つ」時間は、「月の出を待つ」時間として進行しているのです。
そんな「月の出を待つ」時間に、ガーナチョコを小さなピースにして食べるという行為と時間が、アクセントのように挿入されているように感じられます。主体はおそらくガーナチョコが好きなのでしょう。好きなチョコレートを食べながら、桜の季節に月が出てくるのを待つ、その時間は何とも豊かで充実した時間なのではないでしょうか。
「ガーナチョコ」という固有名詞が印象的に働いた一首だと感じます。