チョコレートアイスを落とした跡がある頁とばして次の章まで
安田茜『結晶質』
安田茜の第一歌集『結晶質』(2023年)に収められた一首です。
本を読んでいる場面でしょう。
この本は、自分の本でしょうか、それとも誰かから借りた本でしょうか、図書館で借りた本でしょうか、あるいは古本屋で立ち読みしている本でしょうか。
誰の本かというのは色々と想像できますが、ここで詠われている本は、主体が自分の所有している本ではないかと思います。
なぜなら、本に残された跡を見て、その跡が「チョコレートアイスを落とした跡」とまでわかるというのは、その本にチョコレートアイスが落ちたという事実を知っているからだと思うからです。
本の跡を見て、何となくチョコレートっぽいなとは思っても、それが一般的なチョコレートなのか、チョコレートアイスのチョコレートなのかの区別は、時間が経過した後では難しいでしょう。
ですから、チョコレートアイスの跡だと知っているということは、自分が所有する本か、あるいは誰かの本であったとしても、当時チョコレートアイスが落ちた状況を知っている本ということになるのではないかと思います。
とにかくそのページを飛ばして本を読み進めているのです。そういう状況ですから、この本を読むのは初めてでないのかもしれません。かつて読んだことがある本だけど、再び今回読んでいるのかもしれません。
ページを飛ばして次の章までいくのは、単にそのページが汚れているだけではないのでしょう。
チョコレートアイスを落とした、そのときの状況が主体にとってはあまり好ましいものではなかったのかもしれません。自分ひとりで落としたのかもしれませんし、誰かとの関係性の中で落としたのかもしれません。いずれにしても、そのときの主体の気持ちは、今現在の主体から見ると、再び味わいたいものではない可能性が高そうです。
ですから、汚れているから飛ばすというよりは、そのページに宿っている過去の状況にあまり触れたくないから飛ばしたというふうにも読めると思います。
ここでは、チョコレートアイスという色合いも過去の状況を暗示しているようにも感じます。これがバニラアイスやストロベリーアイスでは、明るいイメージが伴いますので、ページを飛ばす行為と少しマッチしない感じがありますが、チョコレートアイスであることによって、ページを飛ばす行為がよりしっくりくる仕掛けになっているように思います。
跡としては残っていても、今その場にはないチョコレートアイスを詠いながら、チョコレートアイスの存在感が際立って感じられる一首ではないでしょうか。