樟の木の影も動かず大学にしづかな夏の空白があり
永井陽子『モーツァルトの電話帳』
永井陽子の第五歌集『モーツァルトの電話帳』(1993年)に収められた一首です。
大学の夏休み期間でしょうか。普段なら学生であふれている大学に、ほとんど人がいないひとときがあったのでしょう。
人がいることが常態化している場所において、人の気配がないというだけで、何か特別な静けさのようなものを感じることがあるように思います。その様子を「しづかな夏の空白」と捉えたところが魅力的であり、スケールの大きな歌になっていると感じます。
さて「夏の空白」に納得感を与えているのは、初句・二句の「樟の木の影も動かず」という具体物の描写によるところが大きいと思います。樟の木がつくりだす大きな影でさえ動くことがないほどの状況といえば、よほどの「静」である様を感じます。
その「静」の状況が下句へスムーズに連結され、読み手は「夏の空白」というスケールの大きな表現を無理なく受け入れることができるのでしょう。
夏という開放的な印象のある季節だからこそ、かえって空白のイメージが強められ迫ってくる一首だと思います。