空白を忘れしやうにゑみあひて髪型の変はりたるは訊かざり
横山未来子『水をひらく手』
横山未来子の第二歌集『水をひらく手』(2003年)に収められた一首です。
特定の相手と会わなかった期間を「空白」と呼んでいると思いますが、その空白期間がまるでなかったかのように笑いあっている場面です。
毎日会っている人に見せる表情と、一定期間会わずに過ごした後に見せる表情とでは、やはり変わってくるでしょう。どのような表情や態度で相手に接すればいいか、「空白」が長くなればなるほど、相手と会うときに悩むものではないかと思います。
掲出歌では「ゑみあひて」とありますが、心の底から何のひっかかりもなく笑いあうことができたのかといえば、どうもそのような感じがしません。どこか遠慮がちな印象を受けるのです。それは「忘れしやうに」の「やうに」という表現や、下句の「髪型の変はりたるは訊かざり」という状況によるところが大きいのではないでしょうか。
ここで訊かなかったのは、主体側とみるのか、あるいは相手側とみるのか、二通りの読み方があると思います。
主体が訊かなかった場合、相手の髪型が変わっていることに気づいていたけれども、それについてはあえて触れなかったということで、遠慮のような気持ちが働いたことが窺われます。
相手が訊かなかった場合、主体の髪型が変わっていたことに気づいていたけれども訊かなかったというケースと、主体の髪型が変わっていたことに気づかなかったというケースがあるでしょう。気づいていた場合は何かしら訊くことをためらう気持ちが生じたことが窺われます。一方、髪型が変わっていることに気づかなかった場合は、ためらう気持ちは感じられませんが、しばらくぶりに会うのにあまり主体のことを観察していないのではないか、注目していないのではないかという状況が想像されます。
主体にとって相手がどれほど親密な関係かによりますが、親密であればあるほど、髪型が変わったことに気づかないというのは考えにくいでしょう。
ですから、この一首は主体が訊かなかった場合でも、相手が訊かなかった場合でも、あえて訊かなかったというふうに採りたいと思います。
空白期間に髪型が変わったこと、その髪型の変化に触れなかったこと、そのようなことを含めて、この「空白」というものの存在を考えさせられる一首です。