老人の漕ぐ自転車が歩くよりはるかに遅いのに倒れない
鈴木晴香『心がめあて』
鈴木晴香の第二歌集『心がめあて』(2021年)に収められた一首です。
歩くスピードというのは人によって異なりますが、マンションやアパートなどの徒歩1分というのは、80mに相当するとして定められているようです。
規定はともかくとして、歩く速度というのは平均的には大体これくらいかなという目安は誰もが体感としてもっているのではないでしょうか。
この歌では、老人が自転車を漕いでいます。体の衰えのためでしょうか、そのスピードはとても遅いのです。それは「歩くよりはるかに遅い」のです。それは相当な遅さなのでしょう。
自転車はある程度速度がつかないとふらふらになって、かえって乗りにくいものです。
しかしこの老人が乗る自転車はとても遅いのに、倒れないのです。その光景は、単純に疑問として浮かび上がってきます。老人は何かテクニックを使っているのでしょうか。そんなことはないでしょう。老人にとっては懸命に漕いでいる結果として、その速度なのです。けれども、そこに不思議さが生まれてくるのです。
自転車を漕ぐ当人にとっては不思議でも何でもないことが、傍から見るととても不思議に見えるということが具体的に示されている一首です。
周りを歩く人々がどんどん過ぎ去っていっても、やがて周りに誰もいなくなっても、老人の漕ぐ自転車は老人のペースで倒れずに進み続けることでしょう。