自転車に乗れない春はもう来ない乗らない春を重ねるだけだ
木下龍也『きみを嫌いな奴はクズだよ』
木下龍也の第二歌集『きみを嫌いな奴はクズだよ』(2016年)に収められた一首です。
大人になって自転車に乗れるかどうかは、子どものころに自転車に乗る練習をしたかどうかによるところが大きいと思います。
子どものころに自転車に乗る練習をしないまま、大人になってから乗ろうとするのはなかなか難しいものがあるのではないでしょうか。
さて、掲出歌の主体は「自転車に乗れない」ひとりなのでしょう。春になるたびに「自転車に乗れない」ことを意識せざるを得ない状況が訪れていたのではないでしょうか。気候が暖かくなり、春の陽気な午後を自転車で走る、そんな人々を主体は見つめてきたのではないでしょうか。
そこにはわずかの劣等感と羨望があったのかもしれません。「乗れない」という表現がもつ引け目のようなものを感じます。
しかし、ある春において転機が訪れます。「乗れない春」から「乗らない春」へ。「乗れない」という可能不可能の次元から、「乗らない」という自らの選択へと移行したのです。
自転車に乗ることができないという状況に変わりはないのに、物事の捉え方次第でこうも人生は生き生きを輝くのかと感じさせてくれるではありませんか。
「乗らない春を重ねるだけだ」という下句は、とても力強く自信にあふれた様子が浮かんできます。他人がどう思うかではなく、自分がどう思うか。「乗れない」のではなく「乗らない」のだという転換によって、これからの「春」はこれまでよりも一層心地よい季節になるのではないでしょうか。