tankalife「人生を1mmでもよくしたい」の第11回(「行動」の第5回)です。今回は「あきらめる瞬間までは失敗ではない」と題して、あきらめと失敗の関わりについて見ていきます。
失敗かそうでないかの境目はどこにあるのでしょうか。
何をもって失敗とするかは難しいところですが、結局は自分が失敗だと思えば失敗になるということではないでしょうか。逆にいうと、周りから見て明らかに失敗だと思えるようなことでも、自分が失敗ではないと思っていれば、それは失敗ではないのです。
極端に失敗を怖がって行動できない人もいると思います。私もそうでした。いや、今でも躊躇することがあります。
でも、失敗を怖れてばかりいては、何も変わりません。現状を変えたいのであれば、小さなことでもいいので、まずは動き始めることが大切なのだと感じています。そもそも自分が失敗だと思わなければ失敗ではないわけですから、まだ訪れてもいない未来への不安を抱くより、まずは行動することが一番だと思います。
なかなか行動に移せない、失敗が怖いというときに、次の短歌はとても勇気をくれますね。
「大吉が出るまで引けばいいじゃない諦めたら試合終了なんでしょ」 上坂あゆ美『老人ホームで死ぬほどモテたい』
世の中はさまざまな勝負事であふれています。勝負ですから、当然勝ち負けがあるわけですが、一般的に勝ち負けはどの時点で決まるのでしょうか。
サッカーやラグビーなど試合時間が決められているスポーツは、試合時間が終了した時点で勝負が決まります。また野球のように、試合時間ではなくイニングの既定回数が終了した時点で勝負が決まるものもあります。また将棋は持ち時間がありますが、持ち時間がなくなっても一手ごとに一分間の時間が与えられ、どちらかの王将を詰んだ時点で勝負が決まります。
このように勝負の決し方は色々とあります。ただし、これらはルールが決められた競技であるという点では共通しているといえるでしょう。
では、この歌は勝負事なのでしょうか。
「大吉」とあるので、まずはおみくじを引いている場面と捉えてみましょう。おみくじというのは、年に何回も引く人は珍しいかもしれません。初詣にいったときや、何かの記念日、イベントのときなど、運勢を占う意味で引くことが多いのではないでしょうか。
ですから、そのときに引いたおみくじの結果が大吉であれ吉であれ、一旦はその結果を受け入れるのが通常でしょう。もちろん、神社仏閣によりご利益やおみくじの種類が異なるので、旅行などでおみくじの引き巡りを行うということはあるかもしれません。
しかし、おみくじというのは何度も試すものでないからこそ、そこにおみくじの価値があるともいえます。しかし、この歌はこれに反するように「大吉が出るまで引けばいいじゃない」と詠われています。一回目の結果が大吉ではなかったとしても、何度か引けばやがて大吉の結果を得ることはできるでしょう。つまり大吉の結果を”勝ち”とするなら、一回目で大吉が出なかったからといってそれは”負け”ではありませんし、大吉が出るまで引き続ければ、必ず”勝ち”につながるのです。
ここまでおみくじの話をしてきましたが、おみくじを引くというのはひとつの例であって、結局この歌は人生全般について詠った歌だと思います。それは「諦めたら試合終了なんでしょ」によく表れています。
先ほど勝負が決まる競技やタイミングについて触れましたが、人生という勝負においては試合時間でもなく既定回数でもなく、あきらめたかどうかで勝敗が決するといってもいいのではないでしょうか。すなわち、あきらめていないうちは試合の途中であり、いつでも”勝ち”になる可能性を残しているのです。”負け”を確定させるのは、自分自身のあきらめただひとつといっても過言ではないでしょう。
たった一度の挑戦であきらめてしまうなんて、とてももったいないことです。大吉が出るまで何度でも挑戦すればいいのです。あきらめずに何度も挑戦すればいいんだよと、ストレートに力強く訴えかけてくれる一首だと思います。
失敗は挑戦である
相対性理論で知られるアルベルト・アインシュタインに次の言葉があります。
「失敗したことのない人間というのは、挑戦をしたことのない人間である」(アルベルト・アインシュタイン)
また、ロンダ・バーン著『ヒーロー』には、次の言葉も見られます。
失敗を祝わなければなりません。何故ならば、それは行動を起こした結果であり、そこから多くを学ぶことができるからです。そしてその学びに集中して、間違いを繰り返さないようにしなければなりません。
(G・M・ラオ)
(ロンダ・バーン『ヒーロー』)
これらは同じことをいっているでしょう。それは、次のことです。
失敗をしたということはひとつ挑戦をしたということ。
先ほど、あきらめなければ失敗ではないと述べました。しかし、そうはいっても、これは失敗だったかなあと思うようなことが出てくることもあるでしょう。
そんなときも、落ち込む必要はありません。なぜなら、失敗をしたということは、ひとつ挑戦をしたということだからです。
失敗は挑戦があって初めて起こり得るものです。挑戦がなければ、失敗もありません。失敗したことにフォーカスするのではなく、挑戦したその勇気に焦点を当てることが大切なのだと思います。
そう考えると、失敗した人がいたら、その人を見て笑うのではなく、むしろ褒める気持ちで見つめることができるのではないでしょうか。
見覚えのある絶望を二度目なら愛せるような気もしています 枡野浩一『毎日のように手紙は来るけれどあなた以外の人からである 枡野浩一全短歌集』
「見覚えのある絶望」を、挑戦した後の失敗のようなものと捉えてみたいと思います。同じような失敗が二回あったのでしょう。しかし、その失敗とも思える事態を、主体は「二度目なら愛せるような気もしています」といっているのです。
愛せるのは「絶望」そのものでしょうか。
もちろん二度目だから、その絶望に対する免疫みたいなものがついているため、愛せる気がするとも読めるでしょう。
ただ、あまりにも「絶望」にフォーカスしすぎるとつらくなってしまうため、ここで愛せるような気がしているのは、「絶望」そのものではなくて、その絶望に至った「挑戦」の方ではないかと採りたいと思うのです。
もちろん絶望と挑戦は互いに関係していて、目に見える失敗には必ず隠れた挑戦があるでしょう。表面に現れる結果は「絶望」だったとしても、その絶望を生み出した「挑戦」、そしてその挑戦をした自分自身を愛せるのではないでしょうか。
失敗しない唯一の方法は挑戦しないことです。挑戦しなければ、失敗もありません。
挑戦した者にだけ、成功も失敗も訪れるのです。
やっぱりあきらめずに挑戦したい
挑戦があるから失敗があることを見てきました。さて、何かに挑戦するときに、周囲の人々は何と声をかけてくるでしょうか。
「頑張って!」「あなたならできるよ!」といってくれるでしょうか。
それとも「やめておいた方がいいよ」「どうせできっこないよ」といってくるでしょうか。
次の一首は、まさに周囲の発言と、自分の意志との兼ね合いを考えさせられる歌です。
無駄だろう? 意味ないだろう? 馬鹿だろう? 今さらだろう? でもやるんだよ! 枡野浩一『毎日のように手紙は来るけれどあなた以外の人からである 枡野浩一全短歌集』
自分が何かをやろうと決断して、友人たちにそれを話したとします。友人たちはこういったのかもしれません。
「無駄だろう?」「意味ないだろう?」「馬鹿だろう?」「今さらだろう?」
あるいは、この発言は、自分自身の心の奥から響いてくる声かもしれません。
何かに挑戦しようとするとき、本当にできるのか、意味あるのか、無理じゃないか、といった周囲からの発言を聞いたり、自分自身からの不安や問いかけが始まることでしょう。
それでもやっぱり挑戦したいのです。やらずに後悔するよりも、やって後悔した方がいいのです。あきらめなければ失敗ではありませんし、仮に失敗したとしても、その失敗はひとつの挑戦でもあるのです。
結句の「でもやるんだよ!」が強く胸を打ちます。
何を失うことがあるでしょうか。あなたは、挑戦しなければなりません。さもなければ、それができるということを知らずに生きていくことになります。それは辛いことです。私にとっては堪え難いことです。
(アナスタシア・ソアレ)
(ロンダ・バーン『ヒーロー』)
この言葉も力強いですね。
「それができるということを知らずに生きていくこと」は、挑戦して失敗するよりもつらいことなのだと感じます。挑戦した結果、うまくいかなかったとして、失うものは一体何なのでしょうか。失うものよりも、むしろ学びや得るものの方が多いのではないでしょうか。そんなことを考えさせられますね。
最後に、もう一度「あきらめる瞬間までは失敗ではない」について振り返っておきたいと思います。
次の歌は、少し滑稽な感じもしますが、まさにあきらめないイメージが伝わってくる一首です。
対岸を行く人がつまづきてまたつまづきて立て直しゆく時の短さ 澤村斉美『夏鴉』
対岸を歩いている人でしょうか。こちらの岸から、その人を見ていた場面でしょう。対岸なので、手を貸すこともできません。主体は、ただ見つめることしかできない場所から眺めているのです。
「対岸を行く人」がつまづきました。そして、またつまづいたのです。でも、そこであきらめませんでした。そこから「立て直し」たのです。しかも、短い時間で。
ここでは、つまづいたけどこけてはいないのでしょう。つまづいてバランスを崩した状態だと思います。そこで元の体勢に戻ろうとするのですが、その瞬間再びつまづいてしまったのでしょう。でも、あきらめません。通常であれば、つまづいた状態でさらにつまづいてしまうと、かなりバランスを崩しているため、こけてしまうのではないでしょうか。しかし、この人はあきらめませんでした。立て直したのです。
いや、何度もつまづいたら、むしろ一度こけてしまった方が楽かもしれません。このとき、足も相当踏ん張っていたのではないでしょうか。体勢によっては踏ん張る足への負荷も大きくかかるでしょうし、場合によってはその体勢の影響でケガをしてしまう可能性もないとはいえません。何度もつまづいたらもうあきらめて、一度こけてから、ゆっくりと立ち上がってもいいのじゃないかとさえ思います。
しかし、この人はあきらめなかったのです。「立て直しゆく」間の思考時間はとても短いものだと思います。のんびり考えていられるものでもないでしょう。反射的に体がこけないような体勢をとろうとしただけかもしれません。
あきらめたらこけていたでしょう。でも、あきらめなかったからこけなかったのです。その姿に「あきらめる瞬間までは失敗ではない」を想像してしまいました。
「あきらめる瞬間までは失敗ではない」を心に留めて、できる限りの挑戦をしていきたいものです。




