【短歌×人生】人生を1mmでもよくしたい 【行動④】完璧はいつまでも訪れないからとにかく行動しよう

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【短歌×人生】人生を1mmでもよくしたい 【行動④】完璧はいつまでも訪れないからとにかく行動しよう
tankalife

人生を1mmでもよくしたい」の第10回(「行動」の第4回)です。今回は「完璧はいつまでも訪れないからとにかく行動しよう」と題して、行動することの大切さについて考えていきます。

知覚動考(ちかくどうこう)という言葉があります。「知って、覚えて、動いて、考える」ということですが、あれこれ考えるよりまず行動しようという意味です。元々は仏教や禅に由来する言葉だそうです。

面白いのは、知覚動考にともかくうごこうの読み方があることです。「知(とも)・覚(かく)・動(うご)・考(こう)」というわけですね。座右の銘にされることも多いようですが、まずは動くこと「ともかくうごこう」が大切だと改めて考えさせられます。

心が変われば行動が変わる
行動が変われば習慣が変わる
習慣が変われば人格が変わる
人格が変われば運命が変わる
(ウィリアム・ジェイムズ)

ウィリアム・ジェイムズのこの言葉は結構知られているかもしれません。心、行動、習慣、人格、運命がリンクしている名言ですが、この言葉の中でも「行動」が登場します。

このように「行動することが大事」とはよくいわれます。行動することから何かが動き始めることもわかっているのですが、なかなか行動に移すことができないこともあるでしょう。

その理由のひとつに「まだ完璧でないから」というものがあります。現状の能力では不十分、準備が足りていない、もう少し力をつけてから、と完璧でない状態を挙げていくことは簡単です。

でも、本当に自分が思う「完璧」は訪れるのでしょうか。

想像の中では、そのうち訪れるはずの「完璧」な姿が何となくイメージできることでしょう。しかし、いつまで経っても、その完璧な姿が、今この瞬間の現実にやってくることはあるのでしょうか。自分の能力不足を嘆き、勉強して少し力がついたとしましょう。その段階になれば、また新たな足りない部分が見えてきます。そうすると、まだ自分には力が足りないなあと実感することになります。そして、もっと勉強して力をつけないと。行動するのは力がもう少しついてから、となるでしょう。

そうなれば、いつまで経っても「行動」に移ることができません。では、行動するためにはどうすればいいのでしょうか。

行動するために大切なことは「完璧はいつまでも訪れない」と割り切ることでしょう。

完璧はいつまで待っても訪れないと思ってしまえば、もっと力をつけてから動こうとするのではなく、今えいやと勢いで行動に移してもさして変わりがないのかもしれません。いや、むしろ行動してしまった方が、今後の展開は早くなるともいえるでしょう。

行動しながら学んでいく、行動しながら修正していくという気持ちで「ともかくうごこう」を実行してしまった方が、ある面楽なのではないでしょうか。

行動と完璧について見てきましたが、そのことを考えさせてくれる次の歌は、私の好きな一首です。

雨はふる、降りながら降る 生きながら生きるやりかたを教へてください 藪内亮輔『海蛇と珊瑚』

人生とは、いつも進行形であると感じます。

常に時間の最先端にいるのであり、「準備万端になってから、さあスタートしよう」というわけにはなかなかいかないのが「生きる」ということなのではないでしょうか。

掲出歌の「生きながら生きるやりかた」を読むと、まさにそれを感じます。

例えば、仕事や取り組みにおいて、準備を万全にしてから始めたいという人も少なくありません。現段階の自分の能力においても、まだその仕事や取り組みを始める時期ではないと先延ばしにするケースもあるでしょう。しかし、100%の準備が整うことはおそらくありません。ですから、準備を完璧にしようと思っていると、いつまで経ってもスタートすることができなくなるのです。

しかし、詠われている「生きる」ということにおいて、準備を万全にしてからということは難しいでしょう。生きることは常にリアルタイムであり、まさに「生きながら生きる」なのだと思います。うまく生きることができていようがいまいが、生きることは待ってはくれません。トライ&エラーの繰り返しで、常にその中に身を投じていなければならない、それが「生きる」ことなのでしょう。

雨の情景が描かれていますが、これによって「生きながら生きる」がよりイメージしやすくなっています。

「降りながら降る」は途切れることない雨の様子を想像しました。雨は雨粒の集合体を指していますが、ひとつの雨粒が落ちていってもまた次の雨粒が落ちてくるというふうに、自分の視野を通過する雨はいつも留まることがない進行形の場面として受けとられるでしょう。

この雨の景が提示されることによって、「生きながら生きる」が納得感をもって読み手に伝わってくるのではないでしょうか。

主体は「生きながら生きるやりかた」を欲しているわけですが、誰に対して「教へてください」といっているのでしょうか。特定の誰かのようでもあり、雨に対してのようでもあり、あるいは大いなる存在に対してかもしれません。ここでは何かひとつに特定しない方がいいように感じます。特定することはこの歌のスケールを小さくしてしまうように思いますし、主眼は何に対してではなく、生きることに目を向け模索している主体の姿そのものにあると思うからです。

留まることなく降る雨に、生きるということを重ねたところ、そして「降りながら降る」「生きながら生きる」という言葉のリズミカルなところがとても印象に残り、一度聞けば忘れられない一首です。まさに、生きることに完璧は訪れないと感じさせてくれますし、もう進むしかないと考えさせられる歌です。

次の歌も人生を詠っていますが、人生には完璧はないことを自覚しているのではないでしょうか。

散らかしたまま書いている人生に誤字も脱字もそのままにある 小川佳世子『水が見ていた』

日記でしょうか、それとも依頼を受けた原稿の下書きなどでしょうか。

「散らかしたまま」は、文章を書いている部屋や机の上が散らかっているという意味と、「書いている人生」そのものが整理されたようなきれいなものではないという意味と、その両方を含んでいるように思います。

そして、その「人生」には「誤字も脱字もそのままにある」と詠われていますが、この表現がとても面白く感じました。

書いた文章を振り返ってみると、誤字もあれば脱字もあるということですが、現段階では特にそれを訂正することもなく、そのままに置いているということでしょう。誤字や脱字をそのままにしておいてもいい文章という点から、やはり公に見せる文章というよりも、日記のような私的なもの、あるいはまだ公開する前の下書きなどが適当だと思います。

面白いと感じるのは、誤字や脱字があるのは文章の正しさについていっているわけではないというところです。この「誤字」「脱字」は、主体の人生そのものについても想像させてくれるでしょう。

人生における「誤字」「脱字」は、どちらかといえば、人生そのものがうまくいっていない期間を指していると思います。「誤」や「脱」の字の通り、失敗したり、あるいは足りなかったり、そんな印象で振り返ることのできる人生を指しているのではないでしょうか。

そんな人生を「そのまま」にしておく、あえて修正しない、誤字や脱字のような人生をそのままに受け入れる主体の姿を浮かんできます。

一度も間違いのない人生なんてあるのでしょうか。この歌は、人生に誤字や脱字があってもいい、そのように感じさせてくれます。

そのうちとふときはあらぬをそのうちといくたびいひてきしやかげろふ 渡辺松男『雨る』

「そのうちとふとき」の「とふ」は「という」という意味です。「そのうちとふとき」は、まさに準備が整った瞬間、自分が思い描いた理想の瞬間、完璧な自分が成立している瞬間などを指しているのかもしれません。

主体も「そのうち、そのうち」と何度もいってきたのだと思います。しかし、わかっているのです。「そのうちとふとき」は決して訪れないことを。

けれども、「そのうち、そのうち」とついついいってしまい、先延ばしにしてきてしまったのでしょう。「いくたびいひてきしや」に、わかっているけれども中々行動に移せない姿が滲み出ているように感じます。

「かげろふ」は陽炎でしょうか。「そのうちとふときはあらぬを」に、熱せられた空気がゆらゆらとして捉えどころのない様子が重なります。陽炎の儚さが、心の奥まで迫ってきます。

この歌を読むと、ああそのうちはやってこないんだなあと感じ、完璧はいつまでも訪れないよといわれている気持ちになってしまいます。

「『いつか』という言葉は、あなたの夢を墓場まで持っていく病です」
(ティモシー・フェリス「『週四時間』だけ働く。」の著者)
(ロンダ・バーン『ヒーロー』)

この言葉も同じことをいっているでしょう。「いつか」といい続けているうちに人生は終わってしまう可能性があります。

「そのうち」「いつか」ではなく、どにかく「今」動き出したいものです。

完璧すぎてもつまらない

「完璧はいつまでも訪れないからとにかく行動しよう」ということを見てきましたが、逆に見れば、最初から完璧だったら人生あまり面白くないのかもしれません。

ロールプレイングゲームに喩えると、最初からラスボスを倒せる力があったとしたら、そのゲームは本当に楽しいのでしょうか。ゲームの主人公も最初から完璧ではなく、経験を積みながらレベルアップしていくわけです。最初からラスボスを倒せる能力をもっているわけではありませんが、まず行動し、そして行動する中で徐々に力をつけていくのです。そこがゲームの面白さでしょう。

そういう意味では、最初から完璧すぎてもつまらないということになるのではないでしょうか。完璧でないからこそ面白いという点を感じられる歌を三首見ていきたいと思います。

粘菌のライフサイクル充ち足りて、人は不完全。人でよかつた 勺禰子『月に射されたままのからだで』

粘菌のライフサイクルを簡単に見ていくと、胞子からの誕生 → 増殖・捕食期(アメーバ期)→ 接合 → 変形体期 → 子実体形成 → 胞子形成・放出となり、再び胞子からの誕生に戻ります。

粘菌のライフサイクルは、いってみれば、システム化された、ある意味完璧なライフスタイルでしょう。

一方、人間はどうか。「人は不完全」とあり、人のライフサイクルは粘菌のように整えられたものではないといいきっています。そして「人でよかった」と続くのです。

これは、「不完全だからよかった」と捉えることができるでしょう。完全であるよりも不完全を望む気持ちは、完全・完璧すぎると面白くないからなのかもしれません。不完全であるからこその、予想できない展開があり、その展開が生む面白さがあると思います。

最初から充ち足りた状態ではつまらないのです。すべてが予想でき完璧なライフサイクルであるよりも、完璧すぎないことが人生を面白くする上では大切なことだと感じます。

下句の「人は不完全。人でよかった」が、心の奥底にやさしく沁み込んできます。次の歌も、人間でよかったと詠っています。

袖口にパン屑を点在させて人間でよかったときみはいう 谷川電話『深呼吸広場』

「袖口にパン屑を点在」させている姿は、完璧・完全という状態から見れば隔たりがあるでしょう。もしも、完璧であれば、袖口にパン屑は点在させることはないでしょうし、そもそもパン屑自体を落とさないでしょう。

しかし、「きみ」は「人間でよかった」というのです。上で取り上げた歌とも通じますが、人間は完璧ではないけれど、その完璧でない状態を愛おしく思うのではないでしょうか。

パン屑を落とさない完璧な物体はロボットのようなものを想像すればいいのかもしれません。しかし、人間である以上、ときにはパン屑をこぼすこともあるでしょう。袖口にパン屑をつけたままになることもあるでしょう。

ただし、パン屑を点在させたから人間が駄目だということにはなりません。そのような不完全を伴いながら日々を過ごすことが生きていくことそのものであり、パン屑を点在させたからもう終わりだなどと自分を責めて、動けずに立ち止まったままになる必要は一切ないのです。

完璧云々よりもまずは生きていくこと、生きていることが大切でしょう。

欠けながら生きていくのも楽しいよ冬の朝陽がわたしを洗う 田村穂隆『湖とファルセット』

この歌も、完璧であることを少し斜めから見ています。

「欠けながら生きていくのも楽しいよ」。このように心からいえたら、日々がどんなに楽しく感じることでしょうか。この「わたし」は完璧を求めてはいないのかもしれませんし、完璧はいつまでも訪れないと感じているのかもしれません。

むしろ「欠けながら」の状態であることを肯定しているのです。冬の朝陽が、わたしという人間を、外面だけでなく内面をもきれいにしてくれるようなイメージが浮かびます。それは、完璧を求めて悩むよりも、欠けていてもいいからとにかく「生きていく」姿が素敵だよと教えてくれるようです。

欠けない瞬間は永遠に訪れないのかもしれません。しかし、欠けない瞬間を待ち続けて立ち止まるよりも、欠けながらでも進んでいく方がはるかに「楽しい」人生になるのではないでしょうか。

完璧を待つよりも、不十分でも今行動を!

私自身についていえば、この「tankalife」の開始についても、「完璧はいつまでも訪れないからとにかく行動しよう」の結果だったと思っています。結局、完璧を求めていたらいつまでも行動できないなあと気づいたため、全く不十分ながらウェブサイト「tankalife」をウェブ上に公開しました。

tankalifeが内容的にもデザイン的にも充実度も完璧かというと、開始当初は全然そんなことはありませんでしたし、今この時点においてもそういえるものでもないでしょう。始めた当初はコンテンツの数も少なく、貧弱そのものでした。しかし、貧弱そのものでも始めないことには、公開しないことには始まらないと思ったので、まずは始めることが大切だと開始しました。

完璧は永遠に訪れないし、どうせ完璧にならないなら、一旦公開して駄目なところは修正して、足りないところは追加していったほうがいいのではと思ったのでした。今ですらコンテンツの種類も少ないし、かなり偏りはあります。

ただ、ひとついえるのは、完璧になるのを待っていていつまでも公開せず、サイトが立ち上がっていない状態と比べて、曲がりなりにも公開されていて、投稿数も徐々に増えている今のサイトの状態の方が圧倒的にいいということです。いつまでも悩んで公開しない状態のままではなく、完璧ではないけど一歩を踏み出して行動してよかったと思います。

最後に、福本伸行のマンガ『賭博黙示録カイジ』に登場する次の言葉について触れておきたいと思います。

30になろうと40になろうと奴らは言い続ける…
自分の人生の本番はまだ先なんだと…!
「本当のオレ」を使ってないから
今はこの程度なのだと…
そう飽きず 言い続け 結局は老い…死ぬっ…!
その間際 いやでも気が付くだろう…
今まで生きてきたすべてが
丸ごと「本物」だったことを…!
(福本 伸行『人生を逆転する名言集』)

やはり、いつか訪れるであろうと想像してしまっている「完璧」は、結局いつまで経っても訪れることはないのだと思います。「人生の本番」を先送りしたとしても、先送りした地点に立ったとき、再び「人生の本番」を先送りしてしまうことになるのではないでしょうか。

今まで生きてきたすべてが/丸ごと『本物』だったことを…!」は、胸にグサッと刺さるフレーズです。

詰まるところ、今この瞬間はすべて「本物」であり、たとえ完璧な状態ではないと思っていたとしてもやはり「本物」なのです。

後で、「完璧ではなくても、あのとき行動しけおけばよかったなあ」と思わないためにも、改めて今の自分がどうしたいのかを正直に見つめ直すことが大切なのだと感じます。

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