次の歌の【 ① 】に入る言葉は何?
〈なにもないように見えても【 ① 】を意識しながらゆくべきだろう〉 (平岡直子)
A. ガラス戸
B. 虫の音
C. ドアノブ
D. 薄氷
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C. ドアノブ
なにもないように見えてもドアノブを意識しながらゆくべきだろう
掲出歌は、平岡直子の第一歌集『みじかい髪も長い髪も炎』の一連「黒い親しいデニムへ」に収められた一首です。
何となく箴言のようにも思われますが、「ドアノブを意識しながらゆく」とは一体どのようなことなのでしょうか。
次のようなイメージでこの歌を読んでみたいと思います。
自分がこれから進む道、近い将来、あるいは遠い未来へ向かうなかで、いくつもの壁や障害、またイベントが訪れることになるでしょう。
それは人生という時間のなかで、見えないドアのようにその時々に立っていて、人はそこを通り抜けていく必要があるのです。
人生のイベントというドアは、はっきりと眼に見えないドアでしょう。ですから「なにもないように見えても」、折々に見えないドアは存在しているのであって、それゆえに「ドアノブ」を意識していくことが、今後の人生をより密度のあるものにしていくひとつの方法なのではないでしょうか。
人生のドアというのは、いつどのように訪れて、またどのように開いていくのかは、あらかじめわかるわけではなく、その時が訪れたときに気づくものかもしれません。
しかし、ドアノブを意識していれば、ドアの訪れにいち早く気づくこともできるでしょうし、そのドアを自らの手で開けていくことも可能です。
述べてきたように人生に起こりうる障壁に近いドアと、そのドアに付いたドアノブを想像してもいいでしょうが、この歌を教訓のように読む必要はまったくありません。
人生イベントとは無縁のドアノブを思い浮かべてもいいでしょうし、むしろそのようなドアノブを思い浮かべることができるのであれば、そちらの読みの方がこの一首が示す世界により近づくことができるのかもしれません。
「ドアノブを意識」していくという視点を純粋に味わえばいいと思います。
色をもたない透明なドアノブが心に想起されることによって、この一首は読み手の心の奥に深く浸透してくるのではないでしょうか。
この歌の見どころとして、ドアを意識するのではなく、ドアノブを意識する点にあるのでしょう。ドアノブを意識するところに、積極性そして何より強い意思を感じ、印象に残る一首です。