しもつきの朝を照らして自販機は防犯灯よりも明るい
吉岡生夫『草食獣 第八篇』
吉岡生夫の第八歌集『草食獣 第八篇』(2018年)に収められた一首です。
「しもつき」(霜月)は11月を指しますが、だんだんと日中の長さが短くなってくる頃です。
まだ暗い朝の場面でしょう。暗さの中に明かりが灯るところ、それが自動販売機の明かりであり、その明るさについて詠った歌です。
どれほど明るいかを示すための比較対象として「防犯灯」が提示されています。この防犯灯の明るさよりも明るいということで、この朝における自動販売機の明るさを表しています。
考えてみると、明るいか暗いかについて、何を判断基準としてそういえるのかは難しいところですが、結局のところ個々人がどう感じるかによるところが大きいのではないでしょうか。その人が明るいと思えば明るいし、暗いと思えば暗いのでしょう。
例えば、電球や蛍光灯の色の種類には「電球色」「温白色」「白色」「昼白色」「昼光色」の大きく5つがありますが、これもどの色が好みか、またどの色がより明るく感じるかは人によって異なると思います。
しかし、個人の判断によるといってしまえば、互いに明るさについての共通の認識というものがなくなってしまいますから、明るさに関する単位として「カンデラ」「ルクス」「ルーメン」などという数値基準が存在しているのでしょう。これらの単位で示された明るさは客観的です。そうはいっても、日常においていちいち「この明かりは○○ルクスだから明るい」などと会話することはまずないでしょう。
したがって、このような数値の単位を用いずに明るさを表すとすれば、日常よく目にする何かとの比較によって表すという方法が一番わかりやすくイメージしやすいのではないでしょうか。そのような比較を用いて自動販売機の明るさを表したのが、まさに掲出歌なのです。
この場合「防犯灯」の明るさがどの程度かという認識が、詠み手と読み手の間である程度擦り合わされている必要があるかもしれません。そうでないと厳密には、詠み手の伝えたい明るさは読み手に伝わらない可能性があるからです。
けれども「防犯灯」の明るさをどの程度とイメージするかは、詠み手と読み手でずれていてもそれほど問題にはなりません。それは、この歌におけるポイントが、自動販売機の明るさが客観的にどれだけ明るかったかということではなく、「防犯灯よりも明るい」という点にあるからです。
「防犯灯よりも明るい」というところに詠み手の気づきがあり、読み手はその比較による明るさの違いを、そして霜月の朝の雰囲気を感じることこそが、この歌を味わうということにつながるのではないでしょうか。
「明るさ」とは何かについて改めて考えさせてくれる一首です。
※正式には、吉岡生夫の「吉」は上の横棒が短い漢字。

