今日、平成最後の満月だって。 そのメールをもらって撮った平成
岡野大嗣『音楽』
岡野大嗣の第三歌集『音楽』(2021年)に収められた一首です。
「最初」や「最後」といった言葉には、限定感や特別感が漂います。
「最初」や「最後」はそのとき限りであり、そのときに「最初」や「最後」を体験しなかった場合、再び体験することはできません。せっかくの瞬間を逃してしまったなあと感じることもあるでしょう。
さて掲出歌ですが、「平成最後の満月」について、限定的な感じを伴って詠われています。
約31年間続いた平成は、2019月4月30日をもって終わり、5月1日から新元号令和となりました。「平成最後の満月」ですから、おそらく4月の満月のことを指すのでしょう。
平成最後の満月の当日、知り合いから「平成最後の満月」が出ているというメールをもらったというのです。そしてそのメールを見て、主体は「平成最後の満月」を撮ったのでしょう。
満月を撮影したのでしょうが、結句が「撮った平成」となっていることから、ここで記録したかったのは満月ではなく、「平成」という時代そのものなのだと思います。
時代そのものは具体的に目に見えるものではなく、何かに紐づけて記憶されたり語られたりするものなのかもしれません。平成という時代をできるだけ可視化しようとした場合、そこには具体的な事物が必要だと思います。この歌の場合、それがたまたま「平成最後の満月」であったということのように思います。
もしもこのメールが送られてこなければ、おそらく満月を撮影することもなかったでしょうし、そこから平成という時代を記録することもなかったのでしょう。
歌全体の雰囲気から、それほど積極的に平成を記録に残そうという印象は感じられませんが、「平成最後の満月」という限定性が、写真を撮るという行為につながっていったのではないでしょうか。
「平成最後の満月」を通して、平成ももう終わりかあ、という思いが滲み出ているような一首で、肩肘を張らない感じがやわらかく心地よく感じます。
このような一首が残り続けることで、時代というのは記録されたり、記憶を呼び戻すきっかけとなったりするのだと思います。