一本の煙草も吸はず中押しに勝ちきるときにこころ質実
小池光『日々の思い出』
小池光の第三歌集『日々の思い出』(1998年)に収められた一首です。
この歌の詞書には「九月二十日(日)浦和囲碁センター」とあり、1987年(昭和62年)9月20日の出来事として詠まれた一首です。
場所は、浦和の囲碁センターです。主体は、その囲碁センターで囲碁を打っていたのでしょう。
「中押し」とは囲碁で使われる用語で、対局の途中で勝敗があきらかになったとき、最後まで争わず勝負を決することを意味します。”中押し勝ち”などといったりします。将棋では「投了」という言葉がありますが、それに相当する勝負の決し方です。
一般的に、囲碁は19路盤と呼ばれる盤を使い、縦19本、横19本の交差する点361点に、二人の競技者が交互に碁石を置いていくゲームです。相手よりいかに大きな陣地を取ることができるかを競うもので、通常はお互いの陣地が確定するまで打ち続けます。そして、最後にお互いの陣地の大きさを数えて勝負を決します。
掲出歌では、囲碁の勝負をしていたのですが、最後まで打たずに途中で勝負に勝ったときの状況が詠われています。相手が「負けました」といったのかもしれません。途中で勝負がつくということは、圧倒的に差がついていたのだと思います。際どい勝負であれば、最後まで打ち切って互いの陣地を数えるからです。しかし、そうしなかったのは、やはり大勢がついていたのだと想像できるでしょう。
「一本の煙草も吸はず」から、普段から煙草を吸っていることがうかがい知れますが、今回の勝負のときには一本の煙草も吸わなかったというのです。煙草を吸わなかったことが勝負にいい影響を及ぼしたのかどうかまではわかりませんが、結果は中押し勝ちとなりました。
そのときのこころを「質実」と結句でいい切っています。「質実」とはよく「質実剛健」という四字熟語で使われる言葉ですが、「飾り気がなく、まじめなこと」を意味します。
ただ勝ったというだけではなく、普段吸っている煙草を吸わずに勝ったというところに、まさに「質実」という言葉が導かれてきたのだと思います。煙草を吸わなかったという提示と、結句の「質実」との取り合わせ。このコンビネーションをこそ楽しむべきなのかもしれません。
囲碁センターの休日の一場面ではありますが、そのような日常における場での何とも清々しい一首だと感じます。

