雀荘でうつしうつされした癖のこの右手クルクルは誰オリジナル
宇都宮敦『ピクニック』
宇都宮敦の第一歌集『ピクニック』(2018年)に収められた一首です。
麻雀は手牌をいかにつくりあげていくかということはもちろんですが、牌捌きというのも重要視されることがあります。牌捌きは特に麻雀の勝ち負けには影響はありませんが、かっこいい打ち方を見ていると憧れてしまうものです。
掲出歌は、雀荘で麻雀を打ちこんでいると、知らず知らずのうちに牌捌きの影響を受けてしまった歌でしょう。
一回や二回ではそれほど影響は受けませんから、これはかなり雀荘通いが続いた証でもあります。また「うつしうつされ」とありますから、元々自分がもっていた牌の扱いが誰かに影響を与えもしたでしょうし、同時に影響を受けたということです。そしてそれは「癖」になってしまったのです。
「右手クルクル」という表現から、麻雀の牌捌きテクニックのひとつである「小手返し」を想像しました。
小手返しとは、ツモ牌を手牌右端までもってきたとき、そのツモ牌を手牌右端の牌とすばやく入れ替えるテクニックのことです。目的は、ツモってきた牌を切ったのか、元々手牌にあった牌を切ったのかを分かりにくくするためです。しかし、そんな目的よりも、無駄のない小手返しは見ていてとてもきれいですし、惚れ惚れします。
掲出歌の場合、小手返しとは限りませんが、どんなテクニックにしろ、それが癖になるまで影響を与えあうところが雀荘なのかもしれません。そして様々な人が入り交じる雀荘という場において、その影響は固定されたものではなく、もっと混沌としたものでしょう。
それにしても「右手クルクル」という言葉は何とも言葉足らずではないでしょうか。もっと言い方があるような気がしますが、あえてこの表現を使うことでこの歌は活きているのだと思います。
雀荘という場、そしてそこに出入りする主体の人間性が「右手クルクル」という表現によって表された一首だと感じます。