国士無双ばかりをねらふひとでした窓にふくらむ若葉の翳り
春野りりん『ここからが空』
春野りりんの第一歌集『ここからが空』(2015年)に収められた一首です。
麻雀の役満の中で「国士無双」はある意味一番有名かもしれません。麻雀の基本である面子をつくるのではなく、一九字牌のみを集めてできる手であり、非常に特徴のある和了り役です。
さて国士無双は役満の中においては比較的和了りの出る手です。これは定かではありませんが、毎回狙えば30回に1回程度の確率で和了れると聞いたこともあります。
とにかく配牌がバラバラであるときに、国士無双を視野に入れるというのは麻雀をやったことのある人であれば経験があるでしょう。
掲出歌は、そんな役満「国士無双」ばかりを狙っている人についての一首です。
国士無双ばかりを狙うのは、麻雀のルールをあまり知らないか、あるいは自分の信念を強くもっており、細かいことにこだわらないかのいずれかの場合が考えられるのではないでしょうか。
ここで気になるのは「でした」という過去形です。下句の「若葉の翳り」という部分もどちらかといえば負の側面を感じさせる言葉です。登場する「ひと」は、今は主体の前にその存在がないのかもしれません。それは生死というよりも、主体にとっての在・不在の問題であり、「でした」というところから、主体の眼前においては不在であるのです。あるいは存在はするのだけれども、かつてのように国士無双ばかりを狙うようなひとではなくなったというふうにもとれるかもしれません。いずれにしても、当時のその「ひと」は今はいないのです。
今はいないその「ひと」の印象に言及するにあたり、国士無双ばかりを狙っていたというところに、この一首の味わいが滲み出ています。
麻雀は人生の縮図などといわれることもありますが、大げさにいえば、どの麻雀の役が好みであるかというところにも、その人の人生観のようなものを感じることができます。
この一首は麻雀の手役を具体的に述べることで、歌の輪郭をつくりあげることに成功していると思います。