麻雀を十時間あまりやりきつて生きる力のもどるをおぼゆ
小池光『思川の岸辺』
小池光の第九歌集『思川の岸辺』(2015年)に収められた一首です。
麻雀というものは、一度始めてしまえば大抵長時間に及ぶものです。学生同士あるいは雀荘に集まって、夜から始めて朝までやるということも珍しくありませんし、むしろ夜中にやる頭脳スポーツという印象が強い面もあります。最近は、健康マージャンということで昼間にやることも増えてきましたが、いずれにしても長時間楽しめます。
さて掲出歌は「麻雀を十時間あまりやりきつて」と詠われており、やはり長時間連続で麻雀をやっていたことがわかります。麻雀というものは一度始めてしまうと数時間で止めるということができないのですね。勝っているときは気分もいいですし、負けているときはもっとやろうとなりますから、長時間続いてしまうものなのです。
麻雀には長時間できるだけの楽しさと魅力が詰まっています。ただやはり長時間連続で麻雀をすると、さすがに疲れます。この歌も十時間あまり行って、さすがに疲れているはずなのですが、下句で「生きる力のもどるをおぼゆ」と詠われているのですね。
疲れの中にも、やりきったという心地よい達成感があり、疲れ以上に生きる力が戻ってきたと感じたということです。これが中途半端に少しだけ麻雀をしたのでは、生きる力が戻るのを感じることはなかったでしょう。十時間あまりやりきったからこそ、感じることができたのです。麻雀は一人で行うものではありません。一般的には一卓四人でするものであり、一緒に麻雀を打てる人たちとの交流も生きる力が戻ることにかなり影響しているのではないでしょうか。
この一首は「一人生活」という一連の中の短歌ですが、長年連れ添った妻を亡くして数年経ったころの歌です。そのような背景を思うと、「生きる力がもどる」という言葉そして感覚もとても奥深いものに感じます。
生きている中では当然弱るときもあるでしょう。しかし、あることをきっかけに力が戻るということもあるでしょう。そのきっかけのひとつとして麻雀が存在するのであれば、麻雀というものがただの頭脳スポーツを超えたものになり得ることを示してくれています。
「やりきつて」という三句がとても光る一首で印象に残ります。