ひそやかな暮らしのなかで中継の名人戦を見ているゆうべ
土岐友浩『Bootleg』
土岐友浩の第一歌集『Bootleg』(2015年)に収められた一首です。
「名人戦」は将棋にも囲碁にもどちらにもあるタイトル戦ですから、ひょっとすると囲碁の歌かもしれません。ただここでは将棋の短歌として捉えておきたいと思います。
将棋のタイトル戦は現在八つあります。竜王戦・名人戦・王位戦・王座戦・棋王戦・王将戦・棋聖戦・ 叡王戦が八大タイトルに当たります。
名人戦の歴史は古く、1935年に第1期が開始されました。将棋のタイトル戦の中でも、竜王戦と並び頂点に位置する棋戦です。
今回の歌は、そんな名人戦の中継を見ている歌です。名人戦は七番勝負ですが、一番当たりが2日に渡って行われます。初日は大体17時くらいに封じ手となり、2日目は早く終わることもあれば、熱戦の場合は夜中に突入することもあります。
「ゆうべ」を昨晩と捉えるか、夕方と捉えるかで若干印象が変わってきます。昨晩となれば2日目に限られますし、夕方と捉えれば初日でも2日目でもどちらの場面でもあり得ます。
ここでは夕方の場面と捉えたいと思います。「ひそやかな暮らし」という表現が、夕方のゆったりした雰囲気とマッチしているように感じるからです。
初日か2日目かは判断しかねます。2日目の終盤を見ているようにも思えますし、一方で初日の封じ手の場面、そして翌日どういう展開になるのだろうと想像しているような場面とも思えます。
いずれにしても、この歌の場面は慌ただしい印象は一切ありません。持ち時間の長い名人戦、時には数時間の大長考の末やっと一手進むといった、とても時間の長い様子が「ひそやかな暮らし」に重なります。
特に修辞を表に出すこともなく、難解な言葉を使わず日常の場面を詠んだ歌ではありますが、かえってそのような詠い方が、勝負の結果云々というよりも、名人戦を見ることができる環境なり生活なりそのものがとても貴重であると感じさせてくれる一首となっています。