雨の日は雨の降らないストリートビューを歩いてきみの家まで
岡野大嗣『サイレンと犀』
岡野大嗣の第一歌集『サイレンと犀』(2014年)に収められた一首です。
「ストリートビュー」とは、Google Map上において、360度パノラマ写真で街の景色を閲覧できる機能のことです。
ストリートビューは、まるで街中に降り立ったみたいに風景を見ることができますし、またビューの中で前後に移動していくこともできます。通常平面地図では店や建物の位置はわかっても、その店や建物がどんな雰囲気をもった建物か、何階建てなのか、店構えはどんな感じなのかはわかりません。しかし、ストリートビューではこれらの情報が視覚的に把握できるのです。平面地図からだけではわからない街の雰囲気が、ストリートビュー機能を使うことで、大変イメージしやすくなります。特に初めて通る道や、これまでにいったことのない地域を見る場合、大変役に立つでしょう。
さて、掲出歌では、主体は「きみの家まで」向かうのですが、それは実際に「きみの家」へいくわけではなく、「ストリートビュー」において「きみの家」まで歩いていく姿が詠われています。
理由は「雨の日」だからですが、本気で「きみの家」を訪ねようと思えば、雨の日だろうとそうでなかろうと歩いていくことはできるはずです。でも主体はそうはせず、ストリートビューにおいて「きみの家」を訪問するという方法を選択しました。
そのときの主体の心境は、一体どのようなものでしょうか。単に、雨に濡れるのが嫌だというわけではないでしょう。本当に会いたければ、雨に濡れようがどうしようが実際に会いにいくはずだからです。もしかしたら、二人の間で、雨の日はお互いの家を訪ねるのはやめようという取り決めがされていた可能性も想像できるかもしれません。
とにかく雨の日は外には出ず、ストリートビューにおいて歩いていくという状況になっているのですが、ここに何かしらゆとりのようなものが感じられるのではないでしょうか。
実際に会いにいくことだけが豊かなことでもなく、正解でもなく、この歌のようにストリートビューを介して「きみ」とつながっている状態が豊かであると思える時間も充分あり得るでしょう。あえて会いにいかない豊かさがここにはあると教えてくれているように感じます。
雨の日だからこそ雨の降らないストリートビューを歩く。そしてその先には「きみの家」がある。何とも素敵なひとときなのではないでしょうか。
ストリートビューが誕生したからこそ、生まれた一首だと思います。

