手品の歌 #18

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手品の短歌

手品だと思う体を薄くして満員電車乗り込むときに
川島結佳子『感傷ストーブ』

川島結佳子の第一歌集感傷ストーブ(2019年)に収められた一首です。

通勤通学に公共交通機関を利用している人は多いでしょう。通勤ラッシュの時間帯、できれば空いている電車に乗りたいと思いますが、最寄駅から職場へ向かう路線の経路が複数あるわけではなく、仕方なくその電車に乗らざるを得ない状況の人もいます。

特急や快速は混むことが多いので、なるべく普通電車に乗ることも満員電車を避ける一つの方法ですが、そういうわけにもいかない場合もあるでしょう。都市部の地下鉄などは、快速か普通か関係なく混んでいる電車も多数あります。

このような状況ですから、満員電車に乗ることは仕方がないとあきらめて、毎朝乗っていくしかないのが現状ですが、この歌ではその乗り込み方について触れられています。

電車がホームにやってきたときに、もうすでに満員であることがあります。ドア付近の窓ガラスには、明らかに満員であることを示す人々の体勢や密着具合が見てとれます。ここに今から乗り込むのかと思うとぞっとするわけですが、ホームには、人々を車内に押し込んでくれる係の人がいる駅もあります。

この密集した車内に自分の力だけでは跳ね返されて乗れない場合、この係の人にドアの外から車内へ無理やり押し込んでもらうのです。そうすると、ホーム到着時には明らかに満員に見えた車内にまだ人が入るスペースがあったことがわかります。

このように係の人に押してもらって中に入る場合もありますが、掲出歌では面白いことに「手品」に喩えて詠われているのです。

「手品だと思う体を薄くして」は、いかにももう入りそうにない満員の車内スペースに、何とかして隙間を見いだし滑り込んでいく主体の姿が想像できます。

ここでいう手品は、人体切断のイリュージョンマジックをイメージしているのでしょうか。

どう見ても人の体を隠せるスペースのなさそうな薄型の箱に、アシスタントと思しき人が入り、マジシャンがその箱に向かって剣を何本も刺したり、終いには箱を切断して半分にしてみたり、そういった手品を想像してみるといいでしょう。箱の中に入った人は剣が刺されて血まみれになっているか、胴体が切断されているか、観客はそのような状態を想像します。

限りなく胴体が薄くなっていれば、剣を刺されても躱すことができたり、切断された箱の片側に納まることができたりするでしょう。

そのようなイメージで、この歌の「体を薄くして」は詠われているのではないでしょうか。

自分が満員電車に乗り込むときの様子を、人体切断マジックの箱の中に入る人と重ね合わせているように思いますが、そこがとても面白く感じます。

気がつけば、主体は満員電車の車内にしっかりと乗り込むことができ、通勤ラッシュの時間帯における満員電車乗車完了という出来事は、人体切断マジックの成功と同じような意味合いをもっているのかもしれません。

「手品だと思う」という直接的でありきたりなような表現に思えますが、「体を薄くして」の部分があることでありきたりに留まらず、非常にリアリティをもって迫ってきて、イメージがはっきりと浮かぶ一首なのではないかと感じます。

満員電車
満員電車

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