エレベーターの歌 #3

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エレベーターの短歌

われのみのためにとまりて申訳なけれどエレベーターに身を押し込みぬ
吉岡生夫『草食獣 隠棲篇』

吉岡生夫の第六歌集草食獣 隠棲篇(2005年)に収められた一首です。

エレベーターに乗ろうとしたとき、自分が今いる階にエレベーターのかごが停まっていればすんなりと乗ることができますが、今いる階と違う階に停まっている場合、エレベーターのかごを自分のいる階まで呼び出す必要があります。

この歌において、このときにエレベーターに乗ろうと待っていたのは「われ」一人なのでしょう。

ただ一人待っているわれがエレベーターを呼び出した、つまり自分のいる階まできてもらうように動かしたわけです。「われのみのためにとまりて申訳なけれど」に、主体のエレベーターに対する思いがよく表れているように思います。

エレベーターを使って当たり前という人にとっては、申し訳ないという気持ちは生じないかもしれませんが、主体はこのとき申し訳ないと感じているのです。主体にとって、たった一人のためにエレベーターを使うことは当たり前ではないのではないでしょうか。

つまり、自分一人が移動するのに当たり、自分の体よりも大きな装置であるエレベーターを動かすというところに、申し訳なさを感じてしまうのです。

確かに、エレベーターは一人用ではなく、何人か乗れるように設計されていますし、大勢が同時に移動するには便利で効率がいいものでしょう。

しかし、たった一人が移動するとき、エレベーターが違う階から自分のいる階にきて、また目的階まで運んでくれる、そのときの縦の移動距離や扉の開閉などの一連の動きを考えると、自分の移動とエレベーターの動作を比べて、どうも割に合わないというか、釣り合いがとれていないように感じてしまうのではないでしょうか。

階段を使えばいいのではないかとも思いますが、階段がない場所だったのかもしれません。

とにかく、わざわざ自分一人が移動するためにエレベーターが動いてくれることに申し訳ないと感じながらも、主体はそのエレベーターを使って目的階まで移動したのです。申し訳ないとは思いつつ、結局はエレベーターを使って移動しているところに、この歌の面白さはあるのかもしれません。

エレベーターの動きとわれの移動との対比が明らかになるような歌で、日常の一場面における動作や気持ちが滲み出ているような一首ではないでしょうか。

エレベーター
エレベーター

※正式には、吉岡生夫の「吉」は上の横棒が短い漢字。

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