観覧車の歌 #10

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観覧車の短歌

まっくろな観覧車がもしあるのならすべてのこいびとたちさようなら
安田茜『結晶質』

安田茜の第一歌集結晶質(2023年)に収められた一首です。

「まっくろな観覧車」というのは実在するのでしょうか。「もしあるのなら」と詠われているので、実在はしていないのかもしれません。

観覧車のうちの特定のゴンドラだけが黒い観覧車は実在するようですが、この歌で詠われている「まっくろな観覧車」は、特定のゴンドラではなく、観覧車全体を指しているように思います。

観覧車全体が真っ黒とは、すべてが黒色で塗られている観覧車を通常は想像します。しかし、例えば夕方など太陽の光の加減で観覧車が影のように黒く見えるという状況も考えられるのではないでしょうか。

つまり、通常は真っ黒ではないけれども、特定の時間に、特定の場所から見る観覧車は、「まっくろな観覧車」として存在するということはあり得ることだと思います。

ただ、掲出歌では「もしあるのなら」と表現されているので、真っ黒な観覧車はそもそもない前提として詠われているのだと想像できます。

さて、もし「まっくろな観覧車」があるとしたら、どう展開していくのかが下句で詠われていますが、それは「すべてのこいびとたちさようなら」という、どちらかといえば少しさみしさを漂わせる状況が提示されています。

「まっくろ」と「さようなら」は少し付きすぎているようにも思いますが、特定の恋人関係ではなく「すべてのこいびとたちさようなら」という全体を覆うようなフレーズを支えるには、「まっくろ」は必要で的確な選択なのかもしれません。

この歌において、実際「まっくろな観覧車」はないわけですから、「すべてのこいびとたち」も「さようなら」をすることはないのでしょう。

別れを予感させますが、「さようなら」は主体の願望がわずかばかり入った言葉のようにも聞こえてきます。「まっくろな観覧車」も主体が実在してほしいと願っているのかもしれません。その願望が、実在しない「まっくろな観覧車」という存在をイメージとして浮かび上がらせているようにも思います。

「さようなら」の象徴としての「まっくろな観覧車」は、実在の有無を問わず、読み手の心に強く根付いてしまう、そんな力をもった一首なのではないかと感じます。

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