平和とは平和だ それは「基本」だが平和でできる役満は無い
松木秀『RERA』
松木秀の第二歌集『RERA』(2010年)に収められた一首です。
麻雀の基本的な役「平和」と、戦争や紛争がなく穏やかな状態を意味する「平和」とが同じ漢字であることが基盤となっている歌です。
「平和」の「和」はあがり(和了)を意味しており、「平和」とは”ひらあがり”つまりシンプルなあがりを意味しています。麻雀を覚えるときに最初に覚えるといってもいいくらいの、まさに「基本」的な役です。
一方「役満」は、完成させるのが難しい、特に得点の高いあがり役のことです。「平和」は、子の場合1,000点であるのに対して、「役満」(何種類もあります)は32,000点であり、「平和」と「役満」を比較するのもどうかと思いますが、同じ麻雀の手役であることには変わりありません。
これら「平和」と「役満」を対比させ、「平和でできる役満は無い」と詠われています。この部分だけを見た場合、麻雀の役の話でいえば、「平和でできる役満は無い」はルール上当たり前のことです。
補足をすると、ひとつだけ例外があります。「役満」のひとつである九蓮宝燈の場合だけは、「平和」の形式を保ったまま達成することも可能となっています。まあ、このような例外はあるとしても、大抵の「役満」は、「平和」の形式とは異なるかたちで達成する必要があるのです。
「平和でできる役満は無い」と麻雀の話が詠われていますが、初句二句で「平和とは平和だ」と表現されることによって、この下句はどうも麻雀だけの話ではないような広がりをもちはじめるのではないでしょうか。
つまり、「役満」を理想的なあがりの喩とした場合、それは「基本」的なものからできるのではなく、まったく別のルートからの達成によってなされるということが示されているのでしょう。
「平和」を望む声は多くあれど、その「平和」を突きつめて、「平和」から理想的な世界を目指していこうとしても、それは難しいのではないかと、この歌は語っているようにも感じます。
いいかえると、「平和」を「平和」、「役満」を”理想的な世界”に置き換えた場合、理想的な世界は「平和」の延長線上にあるのではなく、まったく別のルートからしか達成されないのではないかと暗に示されているのではないかと思います。
麻雀の話を前面に出しながら、その背後に「平和」について同時進行で考えさせられる、そんな一首になっているのではないでしょうか。
「平和とは平和だ」の表現が力強く伝わってくる歌だと感じます。

