自転車の歌 #13

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自転車の短歌

白き霧ながるる夜の草の園に自転車はほそきつばさ濡れたり
高野公彦『汽水の光』

高野公彦の第一歌集汽水の光(1976年)に収められた一首です。

時間帯は夜、場所は公園かどこかでしょうか。公園といっても区画整備されたきれいな公園ではなく、「草の園」とある通り、草の生い茂った場所でしょう。

「白き霧ながるる」と始まりますが、この導入で”ある雰囲気”が読み手に手渡されます。幻想的といえば幻想的であり、これから展開する世界が、現実のごみごみした世界とは異なるものであることを予感させます。

「白き霧ながるる夜の草の園」でまずは場面の設定がされましたが、静謐で美しい夜のイメージが広がっていくのではないでしょうか。

そして下句の「自転車はほそきつばさ濡れたり」と続いていきます。草の園に自転車が立てかけてあったのでしょうか、あるいは片側スタンドで少し斜めに傾いてそこに立っていたのでしょうか。いずれにしろ、自転車の傍に人の気配はなさそうであり、そこにあるのは自転車ただひとつのように思います。

一般にいう自転車には「つばさ」はありませんが、ここで主体は自転車に「つばさ」を感じとったのでしょう。

この「つばさ」が何であるかは読み手のよってさまざまな捉え方があるかもしれません。車輪、スポーク、チェーン、フレーム、ペダル、サドル、ハンドルなど自転車の一部分がそう見えたという捉え方があるでしょう。あるいはこれら具体的な自転車の部分ではなく、自転車から伸びている、本当に「つばさ」のようなものが夜の闇に広がっていたという捉え方もあるでしょう。

ここではハンドルの延長としての「つばさ」ではないかと捉えておきたいと思います。その理由として、「つばさ」といえば両翼の二つあるイメージであり、「ほそき」からハンドルの細さを想像したからです。ペダルも二つありますが、「ほそき」からは少し外れているように感じます。また車輪は丸い形状であることから、「つばさ」の細長いイメージとあまり合わないような気がするからです。

したがってハンドルがそれに当たると感じますが、ハンドルそのものだけというよりも、ハンドル部分を含めて、そのハンドルが生えだして夜の闇へ延長していく様子を含めて「つばさ」と詠んでいるのではないかと感じます。

「濡れたり」は夜の霧に濡れたのでしょうが、この描写によって「つばさ」の実体感が増しているように思います。液体のイメージや温度、湿度をも感じさせて、触覚に訴えかけてくるようです。

音数の面で見ると、五・七・六・八・七となっており、三句と四句が字余りとなっています。歌の中ほどが字余りで膨らんでおり、ここでゆったりとしたリズムになるところもこの歌の特徴でしょう。定型ぴったり三十一音というわけではないところが、素直にすっと読み下せない構造になっていて、その分情景の膨らみやイメージの豊かさの広がりにつながっていると感じます。

日常生活でよく使われる自転車ですが、その自転車がとても美しく詠み込まれ、普段目にする自転車の様子とは一線を画す世界へ誘ってくれる一首だと思います。

霧

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