無駄なことばかりしようよ自販機のボタン全部を同時押しとか
岡本真帆『水上バス浅草行き』
岡本真帆の第一歌集『水上バス浅草行き』(2022年)に収められた一首です。
「無駄なこと」というのは、それをやっても役に立たないことであったり、ただ時間だけを消費することであったり、とにかく実益や何かしらの効果につながらないことを指す言葉だと思います。
そう考えると「無駄なこと」はこの世の中にあふれていると思いますが、掲出歌では「自販機のボタン全部を同時押し」が無駄なことの一例として詠われています。
かつて、”自販機のボタンを二個同時に押すと二本ジュースが出てくる”や、カップ形式であれば”味の混ざったジュースが出てくる”といった会話をした記憶がある人もいるのではないでしょうか。
結局出てくるのは最初に押されたボタンの飲み物一本なわけですから、その点から見ると、自販機のボタンを二個同時に押すとか、全部同時に押すとかいうのは「無駄なこと」になるわけです。
特にボタン全部同時押しの場合はひとりで簡単にできるとは思えないので、友人と一緒に「しようよ」ということになるのでしょう。また同時に押すというタイミングを合わせることも、一回で成功させるのは難しいかもしれません。そうなると何回も全部同時押しにトライすることになり、より「無駄なこと」感が増すことにつながります。
日々生活する中で、このような「無駄なこと」をできるだけしない方向にもっていくという考え方もあります。しかし、「無駄なこと」を極力省いていって効率的な毎日を送ることが、果たして充実した日々と呼べるのかどうかは一考の余地があるでしょう。
「無駄なことばかりしようよ」のフレーズからは、「無駄なこと」こそが楽しく面白く、豊かさや充実につながるんだといっているように聞こえてきます。結句に「とか」とある通り、主体にとっては、自販機のボタン全部同時押しのほかにもまだまだたくさんの「無駄なこと」があるのでしょう。
「無駄なこと」を避け、効率的なことばかりを追い求めていると息が苦しくなるかもしれません。日々の生活というのは、案外「無駄なこと」で充実していくものなのではないでしょうか。
「しようよ」という呼びかけは、主体の友人への呼びかけのように思いますが、同時に読み手への呼びかけのようにも感じます。
この歌を詠んだひとりひとりが自分だけの「無駄なこと」を見つけてみてはどうですかと、そんなふうに呼びかけているようにも感じ、見つけるきっかけを与えてくれるような一首ではないかと思います。